『フェアトレード』は本当にフェアなのか?倫理的消費の問題点と、私たちが本当に考えるべきこと。大切なのはラベルではない。
ここ10年間で、世間では『倫理的意識』が急速に高まっています。
フェアトレードという言葉も、
日本でも認知されるようになってきました。
最近では、大手コンビニチェーンのコーヒーにもレインフォレスト・アライアンスのラベルが付いているのを見かけます。
このような「倫理的な消費」の認知度が高まり、
アフリカの村に住む貧しい農家を支援したい!
途上国の労働問題の解決の力になりたい!
と思う消費者が増えることは好ましいことですね。
しかし、
ここには
【考えなければならない問題】
もあります。
残念ながら、
フェアトレード自体がブランド化し、
大手企業に売られている時点で、
「なにかがおかしい、、」
と疑問に思い始めなければなりません。
フェアトレードや、その他の倫理的消費を促すことの問題点は、消費する私たちと現地との距離です。
疑問に思ったことはないでしょうか?
・本当にこれを買うことで、農家の暮らしを改善しているのだろうか?
・彼らは本当に有利な取り引きができているだろうか?
・コーヒー一杯で誰かの暮らしを良くすることなんてできるのだろうか?
私たち消費者は、「倫理的でありたい」「できることをしたい」と思っている。
一方では、倫理的な商品が売れるとわかっている企業がいて、商品に『倫理的に正しい』ロゴをつけるために列をつくって並んでいる。
そのロゴの背後には、普通の企業がするように、「ブランド」を構築しようと待ち構えている組織がいる。
本質的な問題とは、
【もともと現地の人々は、フェアトレードを必要としていなかった】
という現実なのです。
発展途上国と呼ばれる国々はすべて、侵略された植民地であり、そこで生まれた奴隷と呼ばれる人たちは本質的には奴隷ではありません。
しかし、植民地の人々が奴隷になったのも、
学が無くなったのも経済貧困になったのも、
農業がうまくいかず、GMOなどが増え、
有機栽培が減ってしまったのも、一部の人々による侵略が原因なのです。
問題は「すでに自己再生の兆しがある国に対しても、フェアトレードを推奨することで、より経済奴隷化を促している」ということです。
生きることや、国や、国の経済の本質は、その土地の人々が自給自足できること、その土地の人たちだけで自立して行けることです。
グローバル化の問題点を挙げればきりがありません。
フェアトレードを批判するわけではありませんが、物事の本質みて、本当に必要な支援や、「国際協力」のあり方はしっかりと考えなくてはいけないかもしれません。